『鈴蘭』を読んで凄いなと思ったのは、情景や心情をそのまま描くのではなく、れんちゃんがそれらを一度受け止めた上で、理性の下に出力しているという感覚をとても強く感じられたことです。れんちゃんのフィルターを通して、れんちゃんなりに解釈を加えた世界を見ている感覚。眼前で起こっていることやそれを受けての感情には、通常それを出力するまでに思考と再構築を経ますが、その工程に五十鈴れんという「人間」の色があり、そのため説明的な部分も読んでいて苦にならない強度を感じました。 「君」という言葉も良いです。読者にとっては不意に呼びかけられたような違和感がありますが、その違和感がれんちゃんではなく「君」と呼ばれた彼女への感情移入の補助線になっているように思えました。この作品の面白いところは「僕」である五十鈴れんへの感情移入よりも、「君」と呼称することで読者と「僕」の間に明確な線を引いて、それが視点の捻られた結末の違和感を抑え、無常さをどこか引いたところから眺めている感覚にさせてくれるところですね。とてもすきです。 残り字数が足りなくなってきたので、このくらいにしておきます。これからも作品楽しみにしております。