>たとえば「自由意志」が時代性を持ち普遍性を持たない「観念」であると対象化されるのはそれがある程度生活ゲームから敗北してからであって、それを提唱していた聖典は遡及的に後世の哲学者が発見するという印象がある 素朴な疑問なのですが、どうして「哲学」の存続を自明のものと捉えているのでしょう 「哲学」こそ時代性を持ち普遍性を持たない「観念」だったと対象化する発想がなぜ出てこないのでしょう もう既に「自由意志」よりはるかに速いスピードで生活ゲームから敗北しているし、他の学門領域に意義を奪われて死に概念化が進む一方だと思いますが 「自由意志などない」というテーゼ自体何の面白みもないありふれた「哲学」的な問いで けんつさん的には本当のことを追い求める立場から未来を読んでいるつもりなのでしょうが その視点そのものが既にタコツボ化しつつある「哲学」の枠から一歩も出ていないし、しょせん自らの拠って立つものを対象化することはできない、という哀れさを感じました