京のごはん先生の絵は「記号」としての魅力に溢れている。 漫画の絵(画)は所詮「記号」でしかない。 しかし、その記号でしかない絵に対し、我々は非常な性的興奮を覚える。 そして時に、その興奮は現実の官能を超越するものである。 何故だろうか? 作者の生々しい演出手腕によって、より抽象性の高い「記号」が、 現実を超越したリアリズムをもち、原風景を伴って読者の脳裏に表象されるためである。 換言すれば、演出次第で記号に強大なエナジーを与えることができるということである。 漫画というメディアはそれほど絶大なのである。 昨今、巷では低俗なAIイラストが猖獗しており、それに怯える哀れな”絵師”がいるという。 笑止というほかなし。そういう連中は、ただ”上手い絵”をtwitterにアップして褒められたいだけの素人である。 漫画にしろイラストにしろ、最も肝要なのは「演出」であって、「何をどう伝えるか」ということがプロの漫画家、イラストレーターに求められることである。 AIは所詮ただのツールにすぎない。 貴殿が今後こんな傑作を演出するか期待に胸を膨らませながら、擱筆とする。