継国父の巌勝への暴力、あの時代しかも武家なら普通の教育なので別に暴力親父じゃない主張あるみたいですけど、縁壱の才能発覚からほぼノータイムで後継すげ替えを決めたらしい描写から短気さが窺えますし、縁壱出奔後の巌勝はもうこの父親が想像する理想の後継者(比較対象は取り逃した神童の忌子)にはなれない、成果を出せなくなった=父親の意に添えなくなったのが確定したので、まあ出奔後は何かにつけて体罰が行われたのだろうと想像がつくし、その頻度で多岐の分野に渡って行われたであろう体罰はやっぱり時代背景ありきでももはやただの暴力だと考えているんですが、西郷さんどう思われますか?