講評の有料化の話について無記名で回答したいためにこちらに書かせていただきます 大人になってからの勉強というものは受ける側にも選択権があり、その価値、価格は受ける側が適正だと思えばいくら高くっても良いのであると私は考えています。特に個人に対する講評であるならばどこまでやっていただけるのかということではないかと。 先生のノートを拝見しているとかなり細かく文章の粗を指摘してくださる、あれを受けられるならばいくら出しても惜しくはない(実際はお財布の都合上、十万上限ぐらいですが)ですし、逆に具体的な指摘は何もなく総評のみにとどまるあれしか受けられないのならば三千円すら惜しい、というのが本音です。あくまでもわたくし個人の感覚ではありますが。 よって具体的な金額での解答は出来ませんが、川光先生の細やかな批評が受けられるならばいくら出しても惜しくはないというのがわたくしの考えであります。