興味深い話題につき失礼します。 私は玄弥が好きですし、兄のために一人鬼を喰い、一部鬼になるという覚悟を背負って、人ならば何度でも死んでいたはずの酷い傷を受けながら戦った玄弥に心から敬意を払いたいと思っています。玄弥が地獄行きかもしれないと言うなんて酷過ぎる、人の心はないのかと。 他方で、私にとってはそうでも吾峠先生的にはそうでないのかもしれないとも思わざるを得ない時があります。 先生的にはたとえその鬼の力で炭治郎を庇っていようと、それは人の人たるを捨てた「卑怯」(炭治郎が猗窩座に言っていたように)な力で、だから時透君のように天国での家族再会も与えられず、時透くんとは違う方向に向かって立っている絵だけを突きつけられたのではと。 なので腹立たしいのに、玄弥は地獄行き判定を吾峠先生という絶対的な存在から与えられたかもしれないという説を見たときに納得もしてしまいました。 その残酷さこそが吾峠先生であり鬼滅だと言われたら、体がねじ切れそうなくらい嫌なのに納得も感じてしまいました。こういう説を出してる人たちはけして玄弥が嫌いなんじゃないと思います。 これらの点についてどう思われますか?